ニュートラルであること
子育てをしていると、他のママさんとお子さんとの接し方を見て自分とは違うなぁって感じることが時々有ります。
その感じ方がどうというわけではなく、子どもに対して過度な期待や押し付けを持って接していないか?本当に子どものためか?自分自身に問いかけることが有ります。
小さい頃からの心の問題って大きくなってからも引きずることがあるようです。
(というか、自分自身がそうでした。それはまたの機会に・・・)
そうしたときに、変化しようとすると自分の中でものすごい葛藤をするんです。
”変化したい”と思う自分と”変化してしまったらどうなるんだろうなどの不安や恐怖の感情”が同居していることだって珍しく有りません。
子どもと接していく中で私は多くの自分と自分の親との関係性に向き合いました。
(性格には向き合わざるを得なくなった?)
私の親はどちらかと言えば、妹と自分とを比較することは小さい頃はほとんどしませんでしたが、「他の子より早くできること」を喜んでいた(本人は無自覚)と感じましたし、実際そうだったようです。
私が小さい頃、母が言葉として発したことは有りませんでしたが、なんとなく無意識で感じとっていました。そして、母が望む自分であろうとしてきました。
自分が子どもと接する中で、やはり「ほかの子よりもできる」に対して喜びのような感情が湧いたとき、「あれ?」と思ったんです。
子ども自身の過去と現在の成長ではなく、他のこと比べての優劣をつけている自分に気付きました。
そこで、いろいろとその気持ちに向きあう中で自分が母から受けていた勘定と同じであったことに気付き、そして、変えたいと思いました。
その中で、自分の行動一つ一つについて問いかけていきました。
・・・
どうして?なんで?
・・・
そういったことを繰り返した結果、今はほかの子はほかの子。
子どもの過去から現在に至るまでの成長を純粋にほめる事ができるようになりました。
(まだ時々、他人との比較の優越感?見たいなのが顔を出すときが有りますが・・・)
そのおかげでいつもほめることだらけです♪♪
ほめている自分は嬉しいし、幸せを感じます。
そして、子どもの成長が本当に嬉しいのです。そしてすごいなと尊敬しています。
わが子ながら脱帽・・・なアイディアにはただただビックリです。
そうした日々を過ごす中で子ども達から気付かせてもらったこと。
それは、ニュートラルでいることの大切さ。
常に自分のエゴになっていないか?親のエゴで子どもに何かをさせていないか?
子どものためと言って自分のためをすりかえていないか?
子ども自身の将来のためにどう役立つと感じているから、この行動をしているのか?
ここで怒ることは果たして子どものためになるか?そして、その怒り方は正しいのか?
など
自分自身に折につけ問いかけます。
そうすることを繰り返すうちに、自分自身のニュートラルがなんとなく分かってきたのと同時に、ニュートラルでないところというのも分かってきました。
「あ、今、自分は疲れてるんだな」
とか
「あ、今、自分の感情のままに説明したな、子どもの身になるような説明ではなかったな」
とか
色々気付くんです。
そして、変えてみる。
その繰り返し。
修行みたいですが、私は結構修行好きなので(笑)全然苦にならない。
というか楽しいし、ワクワクします(笑)
今日も良い日でありますように☆