「自分に正直に生きる」簡単だけど、大人が簡単にはできていないこと。
こどもはみんな天才!! 生まれてきてくれてありがとう
「世界こどもサミット」
https://world-childrens-summit.com/
”決して、登壇者はスターではない、天才キッズでもない、一般の子供達が、社会に提案する、今の社会を変えていく、自らがイノベーションを起こすこども達です。”
先日偶然、このサミットの存在を知りました。
自分が学生の頃(まぁ、今も大学生ですが)、強く感じたこと。
学校って何のための場所だろう?
正直、表面的な「将来のため」「友達や先生との関係性や関わり方を学ぶ社会の縮図」「学びの場」・・・いろいろ挙げられますが、そういったことは個人的にはあまり重要ではないと感じていました。
大人になった今、仕事で大いに役立っているのは小さい頃からやってきた「家事」であり、「母の家業の手伝い」であり、生きてくため、生活(=母の仕事が収入源)のために必要だった「マナーやパソコンスキル」・「母の手伝いをするために、いかにして要領よくポイントを抑えて課題(学校であったり、親族であったり)をクリアするか」という経験。
学校で学んだ歴史や数学・・・あまり使ってないなと思います。
もちろん、できないよりはできたほうが良いということも理解できます。
(というか、私もテスト再試験になると時間が削られるので、成績はテスト直前学習と集中学習で上の下をどの教科もキープしていましたし)
知識としての学問ではなく、生きた知恵であり、経験が生きていくうえでとても大事だと思います。
自分のやりたいことは、誰が止めてもやりたい。
好きなことはたとえ時間がなかろうと、やる。
私も人並みに?苦しいこともたくさんありました。
でも、今の幸せがあるから過去の苦しいことも今の私を形作る要素として認められている。
だから、生きていてよかったと思うし、私達夫婦の元にきてくれた子ども達が、それぞれの子どもたちらしく生きるサポートをしたいと願って日々過ごしている。
でも、忙しい毎日に追われて、まさに心を亡くしてしまうと、本来の目的を見失ってしまう事だってある。
それは、きっと誰にでもあることだと思う。
目標を持って、達成できる人と、達成できない人の違いは、「常に目標を意識し、その目標に向かって行動し続けられるか」だと思う。
生活、心の余裕もなく、本人としては意図せずして、でも母が私達にさせてくれた「経験をさせる」ということは、今の私に大きな意味がある。
働き始めて約10年。30歳前でも、相手が社長だろうが、課長だろうが、上司だろうが、先輩だろうが基本的には臆することなく話すことはできるようになったのは、やはり小さい頃からの大人との関わりなのだろうと感じている。
それを実感しているからこそ、自分自身もたくさんの経験を子ども達にさせてあげたいと思っているが、私の想いがまだまだ浅いなぁと気づかされたのは、第2回こどもサミットに出場した、今は光となった男の子のスピーチでした。
第2回 世界こどもサミット
宮城県 渋谷 友雅くん
「自分に正直に生きる」
当たり前のことだけど、当たり前のことってできていないよなぁ~
そして、この子が日本の教育への疑問も自分も小さい頃感じていたなぁと凄く共感しました。
(10年経ってもあまり変わっていないのかぁと同時に悲しくもあり)
今、子ども達に接している接し方って甘くないか?
AIがどんどん進化して行くこれからを行きぬく子ども達へ伝えることって今のレベルでは足りないと痛感しました。
親として、競争社会で勝ち抜くためではなく、子供たちがなりたい自分をかなえるための力をもっとつけさせてあげたいと改めて感じました。
単に人よりできているで満足するではなく、とことんまで突き詰めたその子の能力を開花させる環境をつくってあげたい。
それは、「好き」をとことん突き詰めていき、そこから学び取る経験をすることと、それをさらに生活に、仕事して「活かせるように」する力かなぁと。
それを身に着けられるようなはたらきかけにシフトしていきたいと感じました。
先日保育園行きたくない!と言っていた息子。
感受性が豊かだからこそ、いろいろな事を感じ取ってしまい、行きにくい面もあると思う。
でも、子供たちがもし、不登校になっても、学校に行けなくなっても
「大丈夫だよ、生きていくのに「学校」は必須じゃないよ。あなたが一番輝ける場所を作ろう。あなたは私にとっていてくれるだけで十分すばらしい存在なの。たとえ何があってもあなたの味方だし、生きていく道は他にもたくさんあるよ。」
と言ってあげて、子ども達が生きていくための道(一人で生活もできるレベル)を示してあげられる母親でありたいと思いました。
保育士資格取得を目指したのも、自分の子ども達の接し方に活かしたい、そして、未来を担う子ども達にかかわりたいと思ったからでした。
私も私の信じる道を行くために
そのためには、私は今の仕事で良いのか?
実は過去何回も悩んでその都度結論を見出してきた「今の仕事」をすることという選択。後悔はない。でも、これからも同じでよいかはやはり違う形を模索する必要があると感じました。
改めて自分自身の生き方をちょっと見直そうと感じた七夕でした。